結成・創立(明治・大正期)
明治維新によって尾張藩お抱えの狂言師達が、生活上や後継者難から芸事の伝承が困難になった状況を見た、(初世)井上菊次郎・伊勢門水・河村鍵三郎ら町衆の狂言愛好者7名は、名古屋に伝承されてきた和泉流狂言の伝統を守ろうと、1891年(明治24)に『狂言共同社』を結成しました。
これらの同人は私財を投じて、当時散逸しつつあった師家筋の台本・装束・面・小道具を、質屋などから買い戻すとともに、自ら積極的に狂言の舞台も勤め、また後継者への伝承にも尽力しました。
昭和になって・・・
第二次世界大戦下においては名古屋も空襲を控えて備えるべく、1944年(昭和19)末頃より、井上松次郎(三世菊次郎)・佐藤秀雄・歌村彦四郎・河村丘造らの同人が、伝来の台本・装束・面・小道具などを大八車に積み込んで、郊外へ転々と疎開させたため、貴重なこれらの台本や装束などは、戦火を逃れることができ、今日まで大切に維持・保管されています。
また狂言の公演も盛んに催され、戦前の「旧名古屋能楽堂(布池能楽堂)」や戦後の「松坂屋ホール」をはじめ、昭和30年には「熱田神宮能楽殿」も竣工し(平成18年閉鎖)、この時期は常に共同社の先人らが中心となって、名古屋能楽界を盛り上げ支えてきました。
昭和11年4月ころの布池能楽堂
翁「三番叟」より
井上松次郎(三番叟)
井上 文三(面箱・右) 松次郎の弟
平成7年9月9日 「鳳の会」別会
井上松次郎・禮之助傘寿記念会後
いりなかスクエア能舞台にて