奈須與市語(なすのよいちのかたり)
海上へ逃げ延びた平家一行の船から『この扇の的を射抜いてみよ』と挑発された源義経軍。それと理解した家来の後藤兵衛実基は、小兵ながらも弓の腕前に長けていた那須与一を候補として推します。命を受けた与一は外せば自害も已む無しの緊張のなか、期待に応えて見事に射貫きます・・・。
ご存知《平家物語》屋島の戦いでの一幕です。一進一退と思われた源平合戦も、一の谷の合戦あたりから次第に風向きは源氏方へ。その後約一年を経て屋島の戦いを迎えます。基より平家の武将たちには貴族的風流人も多く、その様な苦しい情勢下にあっても扇の的を射貫く(射貫かせる)などして占って、戦の合間の一服に興じていたとされます。
受けて立つ源氏方は、隙あらば攻め時と奇襲奇策の大真面目。この感覚の差や戦術眼が、いづれ壇ノ浦での決着に至ったとも推察できます。
さて「奈須與市語」は本来、能「屋島(八島)」に於いて《間狂言》の別演出(小書)として語られます。この語りの部分を抽出し独演するのが本曲で、演者は語り手(能アイでは塩屋の浦人)を中心に義経・実基そして与一の四役を、座を変え身振り手振りを交えて演じ分け緊迫の場面を演出します。殊に情景描写は聴きどころです。
流儀・流派によって、演じ分ける各役の着座位置が異なります。また当流課題曲の一つ(免状秘曲)で、狂言修業の過程では大学入試にも例えられます。