三世 井上菊次郎(初世 松次郎)

三世  井上菊次郎(いのうえ きくじろう)

本名:重兵衛、 幼名/舞台名:松次郎。

代々の家業、仏具商播磨屋を中区大須で営む傍ら、狂言の公演と装束・面などの維持管理に全力を注ぎ、二世菊次郎(鉄次郎)の早世により、若くして共同社の中心的存在となった。

戦中戦後の激動の時代に、装束や面を自宅地中に埋めたり、大八車に乗せるなどして疎開させたため、これらの装束類は空襲の戦火から逃れることができ、今日も貴重かつ大切に保管されまた現役で使用もされている。

「わしは、『菊』になるつもりはにゃあ。『松』でええわ。」が口癖で、そのため幼名松次郎の名で長年舞台を務めてきた、。晩年は耳も遠くなり頑固になる一方であったが、ある時ふと三世菊次郎の襲名を口にする。孫靖浩や共同社の将来を想ってのことか・・・。

平成9年(1995)の菊次郎襲名公演では、靖浩・融・靖雄の孫世代を相手に狂言「財宝(さいほう)」を披露。しかしそのわずか2週間後に重度の脳梗塞で倒れ、以後約2年にわたるリハビリを続けるも甲斐なく、再び舞台に立つことはなかった。菊次郎の名で舞台に上がったのは、この「財宝」ただ一度きりであった。

平成11年10月没 享年85歳。

【要職】 能楽協会名古屋支部長

【受賞】 第一回 名古屋市芸術特賞(1980年)

名古屋演劇ペンクラブ賞(「狂言共同社の百年」編纂)

生存者叙勲 『勲五等双光旭日章』(1988年)

三世 井上菊次郎
((松次郎)

狂言「二千石」

狂言「二千石」

最後の舞台
狂言「財宝」